『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン』について
同じ質問ですが、すいません。
「投票受付中」にすると新しい回答が受付られなくなることを知りませんでした。
もっといろんな方の回答を見てみたいと思い、再質問させていただきます。
小説『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン』について質問です。
この本のあとがきに、
「このシナリオについて各種の意見と批判が出ました。その中で最も重要な意見は、この小説になっているテーマは、モビルスーツ否定であるという意見でした。当然、それは、小生の目論みでありました。
〜中略〜
人物については、ガンダム世界は、進化していく人間の物語ですから、その行きつく先が、『物否定』『マシーン否定=モビルスーツ否定』になってしまうのです。これが『アムロの結婚否定』の感想の意味なのです。」
と、あるのですがこの小説のどのあたりが『モビルスーツの否定』なのか、しっくりこなかったのです。
具体的には、ベルトーチカのお腹の赤ちゃんの力(?)がバリアになってνガンダムが危機を脱するくだりのことを指しているのかなぁ、とか考えるのですが、でも「ガンダム」の終盤において摩訶不思議な力が出てくるのはよくあることだしどうなのかなぁ、と。
意見や感想でも構いませんので、回答お願い致します。※映画本編や徳間書店の『ハイ・ストリーマー』を含めて回答いただいても結構です。
基本的には、アクシズの落下阻止が、
MSによってではなく、お書きになっている
ような超常的なものも含めて人の力による
ものである、ということをさしているものと
考えます。
「ガンダムの終盤において摩訶不思議な力」と
いうのは、前例がないわけではありません。
しかし、例えば「Zガンダム」の最終話
「宇宙を駆ける」では、エマが
「あたしは見たわ。Zガンダムは人の意思を
吸い込んで、自分の力にできるのよ。だから…。」
といっています。
超常的な力はMSがあってこそのもの、という
形です。
ここは記憶が定かでないのですが、
アニメ版ではバイオチップが大きな意味を
持っていたのに対し、「ベルトーチカ・チルドレン」では
その役割をベルトーチカの子どもが果たしていた
のではなかったでしょうか。
その点においてMSの否定、という言い方も
できるかと思います。
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