機動戦士Zガンダムでのニュータイプ論は結局機動戦士ガンダムの中でやったことの繰り返しですよね?
zでは富野監督はなにが語りたかったのでしょうか?
ちょっと違いますね。例えば、カミーユとハマーンが、ニュータイプ同士の精神交流を果たしますが、ハマーンは「勝手に人の中に入って来るな」と、これを完全に拒絶しています。つまり、ニュータイプになっても、その気がなければ人は決してわかり合えないという、言わば「ニュータイプ論の否定」です。
「機動戦士ガンダム」で描いていたのは、次世代への「希望」でしたが、「Zガンダム」は「絶望」でした。富野監督は、望んでアニメ業界に入った訳ではなく、本来実写映画志望でした。その中であがいて、「ガンダム」という、従来のアニメの殻を破った作品を作ったものの、密かに望んでいた「映画業界からの、実写作品への監督オファー」も一切かからず、さらに試行錯誤して作品作りをしたのに、最終的には「やはりガンダムが一番売れるので、ガンダムの続編を作って下さい」という、スポンサーからのトドメの一言だった訳です。
また、ガンダムが生んだ物は、結局の所「ガンダムヲタク」だった事も、富野監督を絶望させました。だからこそ、最終回でカミーユを「廃人」にしたのです。これは富野監督が公言していますが、そのラストには「アニメばっかり観てるとこうなるぞ。現実に帰れ!」というメッセージを込めたそうです。ですから、私的な意味も込めて、未来に希望を託した「機動戦士ガンダム」とは違い、業界とヲタクに絶望した気分が反映されたのが、「Zガンダム」であると捉えています。
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